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大阪高等裁判所 平成6年(ネ)983号 判決

控訴人

X1

ほか一名

被控訴人

松原市

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人ら

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は、控訴人X1に対し三〇六八万三二八八円、控訴人X2に対し二八五八万七三三八円及び右各金員に対する平成二年一一月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、第一、二審を通じ、被控訴人の負担とする。

4  仮執行の宣言

二  被控訴人

主文と同旨

第二当事者の主張

一  控訴人らの請求原因

1  本件事故の発生

亡A(以下「亡A」という)は、平成二年一一月一六日午後八時三〇分ころ、大阪府松原市田井城五丁目を東西に通じる農業用水路(以下「本件用水路」という)の南側に接する松原市道(以下「本件市道」という)を自転車に乗つて東進中、同所〈以下省略〉B方南側の本件用水路の無蓋部分(以下「本件無蓋部分」という)に自転車もろとも転落し、その結果、頭部打撲による脳挫傷により死亡した(以下「本件事故」という)。

2  被控訴人の責任

(一) 被控訴人は、本件市道の設置・管理者であり、かつ、本件用水路の管理者である。

(二) 本件事故は、次のとおり、公の宮造物である本件市道及び本件用水路の設置及び管理の瑕疵に起因するものであるから、被控訴人は国家賠償法二条一項に基づき後記損害を賠償する義務を負う。

(1) 本件事故現場付近は、田園地帯の中にあるマンシヨンや一戸建住宅が並ぶ住宅地であるが、本件事故発生当時、本件無蓋部分の近くには照明設備はなく、本件事故現場から少し離れた所にあつた街灯も本件事故発生当時は点灯されていなかつた。

(2) 本件事故当時、本件無蓋部分の北側に隣接する前記B方は、本件事故発生当時家人は不在であり、B方東隣の家は表のシヤツターが下ろされており、B方向かいの本件市道南側は塀が続いていて電灯もついていなかつたから、本件事故発生当時、本件事故現場付近は人家の明かりはなく、真つ暗な状態であつた。このことは、本件事故後、通行人があつたはずであるのに、誰も本件事故を通報していないことからみて、通行人は誰も本件事故に気付かなかつたと考えられることからも明らかである。

(3) 本件市道の幅員は、本件事故現場付近では約一・五メートルであり、本件用水路は場所によつては蓋で覆われていたが、本件無蓋部分は、幅約七〇センチメートル、長さ約二メートルにわたつて開口しており、その深さは約九〇センチメートルであつた。

(4) 被控訴人は、本件事故現場北方にあつた池の埋立等により本件用水路の流水量を増量させる必要が生じたことから、昭和六〇年ころ、本件事故現場付近の本件用水路の工事をし、本件用水路の底をコンクリートにするとともに、流水量を増量させるため本件市道を以前より高くした。その結果、本件無蓋部分の深さが右の深さとなり、その危険性が増すこととなつた。

(5) 本件無蓋部分は、本件市道が南北に通じる道路(以下「南北道路」という)とT字型に交差する交差点(以下「本件交差点」という)を北から東に左折する場合、左折した直後の地点に存するにもかかわらず、本件市道と本件無蓋部分の縁との間には特別な段差は設けられておらず、また、ガードレール、フエンスその他の転落防止設備は一切なかつた。

(6) 亡Aのように、南北道路を北側から進行してきて本件交差点で本件市道へ左折する場合、左折直後の地点に本件無蓋部分が大きく開口していることは、左折し終えるまでは見えないのであつて、見通しがよいとはいえない。

(7) 松原市では、農業用水路や排水路への転落事故は数多く生じており、本件無蓋部分においても、転落事故や落ちそうになつた例があり、四~五年前には男の人が落ちたのを前記Bの夫が助け起こしたこともあつたのであり、本件は転落を通常予想し得ない事案とは全く異なる。

(8) 本件市道は車がすれ違うには大変狭い道路であり、対向車がある場合、東進する自転車は自ずと左へ寄るものと考えられるから、通常の走行をする場合であつても、本件無蓋部分に転落する危険性はあつた。

(9) 転落防止のための安全設備としては鉄板をのせて蓋をするだけで充分であり、鉄板をのせて本件無蓋部分に蓋をすることは、本件用水路の農業用水路としての利用あるいは清掃等に何ら支障となるものではなかつたから、本件用水路を全面的に暗渠化することができなかつたからといつて、鉄板をのせて蓋をするといつた他の安全対策を取らなくてもよかつたということにはならない。

(10) 本件無蓋部分は、右のとおり転落の危険性がある施設であつたから、本件市道の設置・管理者であり、かつ、本件用水路の管理者である被控訴人には、本件市道の利用者が本件無蓋部分に転落しないよう転落防止施設を設けるなどの安全対策を講じるべき義務があつた。しかるに、被控訴人は、本件無蓋部分及び本件市道につき何らの安全対策も講じることなく、右転落の危険性を放置していたのであるから、本件市道及び本件用水路の設置及び管理に理疵があつたというべきである。

3  損害

(一) 亡Aの逸失利益

原判決の事実中「第二 当事者の主張 一 請求原因3(一)」に摘示のとおり(三二一七万四六七六円となる)。

(二) 控訴人らの相続

前同「請求原因3(二)」に摘示のとおり(控訴人らは、亡Aの妻、子として、前項の損害金の各二分の一ずつを相続取得した

(三) 控訴人らの慰謝料

前同「請求原因3(三)」に摘示のとおり(各自一〇〇〇万円が相当である)。

(四) 葬儀費用

前同「請求原因3(四)」に摘示のとおり(控訴人絹子が二〇九万五九五〇円を支出した)。

(五) 弁護士費用

前同「請求原因3(五)」に摘示のとおり(控訴人ら各自二五〇万円が相当である)。

(六) 控訴人らが取得した損害賠償請求権の額

前同「請求原因3同」に摘示のとおり(控訴人絹子三〇六八万三二八八円、控訴人みちる二八五八万七三三八円となる)。

4  結論

よつて、被控訴人に対し、右各金員及びこれに対する本件事故発生の日の後である平成二年一一月一七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被控訴人の認否及び主張

(認否)

1 請求原因1(本件事故の発生)の事実のうち、亡Aが自転車とともに本件無蓋部分で発見された際(平成二年一一月一七日午前六時三〇分ころ)、既に死亡していたことは認めるが、その余は知らない。

2 同2(被控訴人の責任)の事実のうち、

(一) 同2(一)の事実のうち、被控訴人が本件市道の設置者であり、かつ、本件用水路の生活用水の排水路としての管理者であることは認める。

(二) 同2(二)の事実のうち、

(1) 本件事故現場付近は田園地帯の中にあるマンシヨンや一戸建住宅が並ぶ住宅地であること、本件事故発生当時、本件無蓋部分の近くには照明設備はなかつたこと、本件用水路が場所によつては蓋で覆われていたこと、本件無蓋部分の深さは約九〇センチメートルであること、被控訴人が本件事故現場付近の本件用水路の改修工事をしたこと(その時期は昭和五二年である)、本件無蓋部分は、本件市道が南北道路とT字型に交差する本件交差点を北から東に左折する場合、左折した直後の地点に存すること、本件市道と本件無蓋部分の縁との間には特別な段差は設けられておらず、また、ガードレール、フエンスその他の転落防止設備が一切なかつたことは認める。

(2) 控訴人ら主張の街灯が本件事故発生当時点灯されていなかつたとの事実は知らない。

(3) その余の事実は否認し、主張は争う。

3 同3(損害)の事実のうち、控訴人らが亡Aの妻、子であることは認めるが、その余は否認する。

(主張)

本件市道の安全性(本件無蓋部分への転落防止施設設置の要否)は、抽象的に物理的・客観的な絶対的安全性として論じられるべきではなく、本件市道・用水路の構造、用法、場所的環境、利用状況など諸般の事情を踏まえたうえ、本件の具体的事故状況を勘案して判断されるべきであり、次の諸事情からすれば、本件市道及び用水路は通常有すべき安全性に欠けるところはなく、その設置及び管理に瑕疵はなかつたというべきである。

1 本件無蓋部分は、幅約九〇センチメートル、長さ約一六〇センチメートル、深さ約九〇センチメートルで、本件事故発生当時、水量はほとんどなく、規模は小さかつた。また、右深さ(道路の高さ)は、本件市道の前記改修工事以降、現在まで全く変わりがない。

2 本件事故現場付近は、夜間も約三〇メートル北方の公園内の高さ六・一メートル、三〇〇ワツトの水銀灯や周囲の人家の明かりがあつて、薄暗くはあつたが闇夜のような状況ではなく、亡Aの自転車も点灯していたと推測され、また、交通量は多くないとはいえ、本件市道を通行する車両の前照灯も間歇的照明となつていた。

3 亡Aは、本件事故の約二か月前である平成二年九月ころから、ほぼ毎日朝夕の二回、ほぼ同時刻に、本件事故当時と同様に自転車に乗り、本件事故現場を経由するほぼ同一のコースを通つて、飼い犬を散歩させていたから、本件無蓋部分の存在及びその位置、これに防護棚のないことを十分認識していた。

4 本件市道は、主として近隣の住民が利用する生活道路であつて、車両の交通量も少なく、有効幅員は約二・三メートルあり、また、自転車に乗つて南北道路を北から東へ左折する場合でも、前記B方家屋の角が出つ張つているうえ、本件無蓋部分の手前の縁に鉢植えや物入箱が置いてあつたから、通常の走行をしている限り、本件無蓋部分のそばを通ることなく、充分安全に左折進行することができるのであつて、ことさらに本件無蓋部分に近づかない限り、そこへ転落することはない。

5 本件事故以前には、本件無蓋部分に転落する事故はなく、地元町会からも本件無蓋部分の安全対策の要望はなかつた。仮に控訴人ら主張の転落事故があつたとしても、被控訴人への通報は本件事故までにはなかつたから、被控訴人はこれを知らず、従つて安全対策の講じようがなかつた。

6 被控訴人松原市は、その全域がもともと農業地帯であり、市内全域に暗渠化されていない農業用水路が市道に接し、市道に防護棚が設置されていない個所が多数存在するところへ、近年になつて住宅が建設されたものであるから、農業用水路及び市道の暗渠化及び防護棚設置の有無の認識は、市民に日常的に要求される注意義務というべきであり、被控訴人は、市民が日常的、一般的な右注意義務を尽くして右の市道を通行することを前提として、市道の通行の安全性を確保すれば足りるというべきである。

三  被控訴人の仮定抗弁(過失相殺)

原判決の事実中「第二 当事者の主張 三 仮定抗弁」に摘示のとおり(仮に被控訴人に責任があるとしても、損害賠償額からは過失相殺として相当額の減額がなされるべきである)。

四  仮定抗弁に対する控訴人の認否

仮定抗弁事実は否認する。

第三証拠関係

原審記録中の書証目録及び証人等目録並びに当審記録中の書証目録に各記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  本件事故の発生について

原判決の理由中「一 本件事故の発生について」に説示のとおりである(亡Aは、平成二年一一月一六日午後八時三〇分ころ、本件用水路の南側に接する本件市道を自転車に乗つて東進中、本件無蓋部分から本件用水路に自転車もろとも転落し、その結果、頭部打撲による脳挫傷により死亡した)。

二  被控訴人の責任

1  被控訴人が、本件市道の設置者であり、かつ、本件用水路の生活用水の排水路としての管理者であることは、当事者間に争いがない。

2  そこで、以下、本件事故が、公の営造物である本件市道及び本件用水路の設置及び管理の瑕疵に起因するものであるかについて判断するが、国家賠償法二条一項にいう営造物の設置又は管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいい(最高裁昭和四五年八月二〇日判決・民集二四巻九号一二六八頁参照)、右瑕疵の有無は、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的、個別的に判断すべきものである(最高裁昭和五三年七月四日判決・民集三二巻五号八〇九頁参照)。

3  しかるところ、成立に争いのない丙第一四号証、第二七号証、証人Eの証言により真正に成立したと認められる丙第一五、第一六号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第四号証、第一六号証、第一九号証、第二五、第二六号証、丙第二六号証、本件事故現場を撮影した写真であることにつき当事者間に争いのない検甲第四四、第四五号証、検丙第一ないし第九号証、松原市内各所の用水路を撮影した写真であることにつき当事者間に争いのない検丙第一〇ないし第二四号証、右E証言、弁論の全趣旨を総合すると、本件事故現場付近の状況等は、次のとおりであると認められる(なお、別紙概略図(一)、(二)参照)。

(1)  本件事故現場付近は、田園地帯の中にマンシヨンや一戸建住宅が建つ住宅地であり(争いがない)、本件交差点の東側には、本件市道と本件用水路を挟んで民家があるが、被控訴人の市域はもともと水田地帯であつて、ほぼ全域に農業用水路が通じており、平成三年一月当時で、道路と用水路とが接している箇所は二三八箇所、そのうち、交差点付近で道路と用水路とが接している箇所は一〇二箇所もあり、本件用水路は右のように被控訴人の市域に多数ある農業用水路の一つである。

(2)  本件交差点は、北側に延びる南北道路と東西に延びる本件市道がT字型に交差する交差点であり、南北道路東側沿いの水路(南北水路)と本件市道北側沿いの本件用水路も同じくT字型に交わつている。

(3)  南北道路と本件市道は、いずれもアスフアルト舗装の平坦な道路であり、南北道路の本件交差点北側の幅員は約四メートル、南北水路の幅員は約一・二メートルであり、本件市道の右交差点東側における路肩(北側約〇・一五メートル、南側約〇・二五メートル)を除いた有効幅員は約二・三メートル、本件用水路(コンクリート製)の幅員は約一メートルである。

(4)  本件無蓋部分は、本件交差点の東側にあり(南北道路の東端から本件無蓋部分の西端までの距離は約二・五メートル)、幅約一メートル、本件市道に接する南側の長さ約一・六メートル、北側の長さ約一・九メートルの台形状に開口しており、深さは約九〇センチメートル(深さについては争いがない)である。

(5)  本件事故当時、本件無蓋部分とこれに接する本件市道の間には段差はなくガードレール、フエンス等の転落防止施設もなかつたが(争いがない)、本件現場付近における本件用水路のその他の部分は鉄板やコンクリートで覆われ暗渠になつていた。

(6)  本件事故現場付近には街灯等の照明設備はない(争いがない)。

(7)  本件市道及び南北道路は、主に近隣の住民が利用しているいわば生活道路とでもいうべきもので、交通量は歩行者、車両ともさほど多くはない(ちなみに、平成四年一〇月一五日及び同年一一月一六日の二回、被控訴人職員が行つた本件事故現場における本件市道の午後七時から午後九時まで二時間の交通量調査の結果では、平均して、東行きは、歩行者一一・五人、自転車三七・五台、単車一三・五台、軽自動車四・五台、普通自動車一二・五台、西行きは、歩行者四人、自転車二七台、単車四・五台、軽自動車四・五台、普通自動車三台程度であつた)。

(8)  本件用水路の水深は、ため池からの放水時や降雨による増水のときを除けばせいぜい数センチメートル程度である。

4  以上認定の本件現場付近の状況に照らしてみると、本件事故現場付近は、歩行者ないし自転車で走行する者が、夜間自転車で走行する場合には前照灯を点ける等通常期待される注意をして正常に歩行ないし走行している限り、本件無蓋部分から本件用水路に転落する危険性は少ない所であるということが出来る。また、一応、気をつけていても、ついうつかりして注意を怠り易く、あるいは正常な歩行ないし走行が妨げられ易い所であり、客観的にみて本件無蓋部分からの転落事故発生の危険性の高い所であるともいえない。さらに、一旦、本件無蓋部分からの転落事故が発生すると、死亡等の重大な事故に至る可能性が高い所であるともいえない(甲第二五ないし第二八号証によれば、本件事故以前にも何件か本件無蓋部分からの転落事故があつたことは認められるが、死亡等の重大な事故になつたとは認められない)。

そうだとすると、本件無蓋部分を無蓋のままにしておき、その周りにガードレール、フエンス等の転落防止施設を設けていなかつたことをもつて、本件市道及び本件用水路の設置、管理上の瑕疵というのは相当でない。

もちろん、右のとおり本件以前にも何件か転落事故が発生していることであり、転落事故防止の観点からいえば、本件無蓋部分に蓋をするとか、その周囲にガードレールやフエンス等の転落防止施設を設置すればより安全であつたことは明らかであるが、右のような本件現場付近の状況や本件以前の事故の発生についても、被控訴人においてこれを知つていたとか、当然知り得たあるいは知るべきであつたとも認められないことを参酌すると、右本件以前の事故発生の事実を考慮しても、前記判断は左右されないというのが相当である。

また、本件事故現場付近に街灯等の照明設備がなかつたことも、前記本件現場付近の状況からみると、そのことが夜間における本件のような転落事故発生の危険性を著しく高めているとはいえず(本件事故も、当時、本件事故現場付近が暗かつたために発生したものであるとは断定できない)、前記判断を覆すものではないといわざるを得ない。

三  結論

そうすると、本件市道及び本件用水路の設置、管理上の瑕疵を前提とする控訴人らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないといわざるを得ず、原判決は正当であつて、本件控訴は理由がないから、これを棄却し、控訴費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 上野茂 山崎果 上田昭典)

概略図(一)(二) 略

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